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高校生の時からやりたかった、自転車日本一周にいってきます!
by niima
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日本一周38日目

2015/1/27

38日目スタート!

今日は2人で鎌倉へ行きます!
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昨日遅かったのもあって朝9時ごろ起床、テントなどを片付け9時30分ごろ出発!
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10時30分ごろ鎌倉に到着!
観光地なだけあって結構人がいました。
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小町通りを歩いているとせんべいを焼いているお店を発見!
1枚50円なので早速食べてみます!
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焼きたてのあったかいせんべい!
すごく美味しかった!
濡れせんと普通のせんべいの中間ってかんじ。
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また少し進むとわしを売っているお店がありました。
いろんな柄があって楽しい!
とても綺麗です。
外国とかにお土産で持って行ったら喜ぶだろうな笑
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もう少し歩いて鶴丘八幡宮に入ります。
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ここもすごい人の量!
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本殿でお参り
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大きな狛犬
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体に優しいドーナツ屋さん。
1つづつ購入、懐かしい味がしました笑
美味しい!
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海の方まで歩くとおしゃれなカフェが!
ここで食事をすることに。
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自分はチキンタコスにしました。
海を見ながら食べると美味しさ倍です!
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海辺を歩きながら違うお店へ移動。
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坂の下カフェというところに来ました。
ここは半年前くらいに放送されたドラマの舞台になった場所だそうです!
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久しぶりにチャイを飲みます!
晴れてるのに雨が降ったりと今日は変な天気笑

店を出ると鎌倉で人力車を引いている友達から連絡があり会いに行くことに!
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2年ぶりくらいの再会
人力車めちゃくちゃ似合ってます笑
かっこいい!
今日は特別に人力車でいろんな場所に連れて行ってくれるそうです!
初人力車でどきどき笑
楽しみ!
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人力車を引く尚毅さん
めっちゃかっこいい笑
重いはずなのに軽々と引っ張ってくれます。
ちなみに人力車1台180万円するらしい...
壊さないようにしなきゃ笑
1台1中名前があって、今日は悟空号に乗って行きます!
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最初のお寺に到着!
寿福金剛禅寺
メインの通りから少し外れただけでとても静かになりました。
まっすぐ伸びた石畳がとても綺麗です。
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寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派寺院である。鎌倉五山第3位の寺院である。山号を亀谷山(きこくさん)と称し、寺号は詳しくは寿福金剛禅寺という。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。鎌倉三十三観音第24番。鎌倉二十四地蔵第18番。境内は「寿福寺境内」として1966年昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。

歴史

源頼朝が没した翌年の1200年正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。

もともと現在の寿福寺のある付近は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にあった。1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、すでに岡崎義実が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。

創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは1278年(弘安元年)頃と推定されている。 1247年(宝治3年)に火災にあい、1258年(正嘉2年)の火災では一宇を残さぬまで焼失している。これらの復興は、伝実朝墓五輪塔などの存在から、おそらく南北朝時代の頃と思われる。

寿福寺には2世退耕行勇をはじめ、心地覚心円爾(弁円)、蘭渓道隆大休正念など、多くの名僧が入寺した。鎌倉の禅宗文化を考える上で、重要な存在の寺院である。

鎌倉初期に高い寺格をもって繁栄したが、「海道記」や「東関紀行」の作者は、寿福寺についてふれるところがない。

wikiより
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2つ目のお寺

英勝寺(えいしょうじ)は神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある浄土宗の寺院であり、現在、鎌倉唯一の尼寺である。山号は東光山。寺域は、開基英勝院尼の祖先であり、扇谷上杉家家宰であった太田道灌邸跡地とされる。

東国花の寺百ヶ寺鎌倉6番札所。

歴史

徳川家康側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した。

創建にあたっては、徳川頼房の娘小良姫を7歳の時に玉峯清因と名付け得度させ、これを門主に迎え開山とした。英勝院尼は寛永19年(1642年)没し、英勝寺裏山に葬られた。寛永14年(または15年)に寺領朱印地として池子村(現逗子市池子)420石を与えられたほか、裏山にあたる源氏山(旗立山)も与えられている。

創建の経緯から、その後も代々の住持は水戸家の姫が務め、このため英勝寺は「水戸御殿」や「水戸の尼寺」とも呼ばれた。高貴な姫である住持は人前に出ることはなく、折々の法要は芝増上寺や、鎌倉材木座光明寺の僧が勤めていたという。

しかし明治維新を機に水戸家からの住持は絶え、寺勢は衰えた。その後、明治28年(1895年)に松平家より住持を迎え、さらに大正8年(1919年)以降は東京青山善光寺より住職を招請し、今日に至る。

大正12年(1923年)の関東大震災では山門、庫裏、蔵が倒壊するなど大きな被害を受け、山門はそのまま鎌倉市内山王ヶ谷(小町3丁目)の資産家に売却されたが、有志による復興事業により旧地の礎石上に復興され、2011年5月16日に落慶式が行われた。

wikiより

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最後のお寺!

浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は泉谷山(せんこくざん)。開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来である。北条氏足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏後醍醐天皇に対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝える。新四国東国八十八ヶ所霊場八十二番。

歴史

鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂(かめがやつさか)と仮粧坂(けわいざか)に近い泉ヶ谷という谷戸に位置する。山号の泉谷山は谷戸の名にちなむものである。寺伝によれば、建長3年(1251年)、北条長時が開基となって創建したもので、開山(初代住持)は真阿であった。それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったともいうが、定かでない。なお、永仁4年(1296年)の開山(真阿)譲状には北条時頼と長時が開基であると記されている。長時は鎌倉幕府6代執権で、文永元年(1264年)、36歳で死去し、浄光明寺に葬られた。開山の真阿は浄土宗系の僧であるが、当寺は創建当初から兼学(複数の宗派が並存)の寺であり、3世の高恵(智庵和上)の時から四宗兼学となって近世末に至っている(「四宗」は必ずしも4つの宗派に限らず、真言、天台、浄土、華厳、禅、律を含む)。この高恵の時代、元弘3年(1333年)には後醍醐天皇から上総国山辺郡(千葉県東金市)と相模国波多野荘(神奈川県秦野市)の寺領を寄進されており、また同年には成良親王(なりよししんのう、後醍醐皇子)の祈願所ともなっている。

浄光明寺は中世を通じ、足利氏および鎌倉公方の帰依を受けている。すなわち、暦応元年(1338年)以降、足利尊氏および弟の足利直義より相模国金目郷(神奈川県平塚市)、上総国山辺郡(千葉県東金市)、伊豆国三津庄(静岡県沼津市)などの寺領の寄進を受けている。また、直義は康永3年(1344年)と観応2年(1351年)に仏舎利を寄進している。尊氏は、建武2年(1335年)、後醍醐天皇に叛旗をひるがえして挙兵する直前、天皇への謀反の意思がないことを示すため浄光明寺にて謹慎していたとも伝えられる。この当時の境内の様子は「浄光明寺敷地絵図」(後述)により具体的にわかる。

室町時代に入り、足利満兼(鎌倉公方)は、応永6年(1399年)、父・氏満と祖父・基氏の遺骨を分けて浄光明寺に安置し、以降、当寺は鎌倉公方の菩提寺となった。天正19年(1591年)には徳川家康より4貫800文が与えられている。

往時は10近い子院があったが、幕末には慈恩院を残すのみで衰微していた。慈恩院は、足利直義が自ら殺害させた護良親王の鎮魂のために建立したもので、浄光明寺に現存する地蔵菩薩像(通称矢拾地蔵)は慈恩院に伝わったものという。

wikiより

いろいろ説明してもらいました!

自分はバカですぐ忘れてしまうのでwikiから詳しい説明を載せておきます!

貴重な体験ができました!本当にありがとうございます。

またどこかであえることをたのしみにしてます!

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2人とも少しお腹が空いていたので尚毅さんオススメの焼き鳥屋さんを教えてもらいました。

昔ながらの店構え!

中は満席だったので外でこごえながら食べます笑

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肉がや柔らかくて今までの焼き鳥で一番美味しい!

尚毅さんありがとう!

このあと戸塚へ戻りお別れ。

次は大阪に遊びに来てくれるそうです!

遠いけど楽しみにしてます!

今日はいろんな体験ができて本当に楽しかったです!

また鎌倉来たいな笑




今日の走行データ

0km






by niima333 | 2015-01-17 22:09 | 神奈川2
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